福岡県行政書士会八女支部懇親旅行その三~朝倉文夫記念館

瀬の本レストハウスを出発して、ぐるっとくじゅう周遊道路(国道442号線)を東進。

この国道442号線を西進すると八女市、筑後市まで続きます。

「国道442号線て長いんだなー」と思い、調べてみると最終点は大分市でした!

ビールを頂いているので、途中でウトウト。

元気だった先生もおやすみ~。

次の目的地「朝倉文夫記念館」。豊後大野市朝地町にあります。

「朝倉文夫」は全く知りませんでしたので調べてみました。

朝倉 文夫 Asakura Fumio (1883~1964)

明治16年3月1日、上井田村(現朝地町)池在に渡辺要蔵の三男として生まれ、9歳のとき朝倉家の養子となり朝倉宗家を継ぎました。尋常小学校を卒業後、旧制竹田中学校に進学し、19歳のとき中退して、先に上京していた実兄の渡辺長男(彫塑家(ちょうそか))を頼りに上京し、明治36年東京美術学校(現東京藝術大学)彫刻選科に入学しました。

在学中に1200点もの作品を制作し、明治40年卒業。その後は彫刻界の重鎮として活躍し、大正8年に帝展審査員となったのを皮切りに、同10年に東京美術学校教授、同13年に帝国美術院会員となり、昭和23年には文化勲章を授与されています。「東洋のロダン」と呼ばれたそうです。

たくさんの彫塑が時代別に各階に展示されており、その時代時代において特徴がありました。

滝廉太郎の彫塑もありました。「春 高楼の 花の宴~」

滝廉太郎と朝倉文夫は竹田高等小学校の同窓生だそうです。次の日に行った岡城址にもあり、その裏側にその文章が刻まれていました。

また、旧制竹田中学も同窓で現在の竹田高校の校歌には「楽聖、画聖我らが師」と出てくるそうです。

風景、景色の観光もいいけど、知らなかったことを知ることも旅行の醍醐味です。

いよいよ、今回の旅行の宿泊地である長湯温泉「宿坊・翡翠之荘」へ

ちなみに翡翠と書いて「かわせみ」と読みます。「ひすい」ではありません。

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